先日、社会芸術さん主催による[野良の芸術]の活動の1つ「麦脱穀ワークショップ、詩の朗読と躍り」の模様を撮影、編集制作をさせていただいた。アートは野良にある、野良にアートはある。生活の営みの中に美を見いだしてきた彼らによる活動の1つである今回は、第一部として刈った麦を手動による脱穀機を用いて稲穂と麦を別け脱穀するというもの。第2部では詩の朗読(渋谷定輔「野良に叫ぶ」)に続き、ハンドパンの音と躍りの共演。
今では自動となる脱穀作業を自らの手足を用いて行うというワークショップで使用した機材は福島の農家さんが持っていたものをお借りしたものだそうだ。(今ではほとんど使われておらず、郷土資料館等で展示されてもおかしくないくらい貴重なもの)人の手で一つ一つ行い食卓に届くまでのこれらの行程は、普段の生活では想像が及ばないものである。お金を出すことで簡単に食を甘受出来ることのありがたさを改めて感じる。物を買うということの簡単さとその背後にある人の手(時間や労働、そして時に愛情)への想像力の欠如、それにより捨てることの安易さが助長していく。「もったいない」昔のひとが残した言葉を、やっとこの年になって本当の意味で理解し始めたように思う。
編集制作にあたり
ありがたいことに今まで社会芸術さんの動画を何本か編集をさせていただいている。自分は立体作品を作っている身ではあるが、こういったご縁により野外での活動に触れ、映像という形で記録を残すことに携わらせていただけてたことは本当に感謝でしかない。映像制作のためというよりは、参加者の1人として参加させていただいた気持ちである。様々な人、それぞれの技術、知恵、そして良い意味での貪欲な探求心。そして体験、食、そして労働さえも楽しみに変える彼らの活動は、アーティストならではの視点がふんだんに盛り込まれている。「書を捨て町に出よう(寺山修司)」ならぬ「書を捨て野良に出よう」と言えるかもしれない。少しでもその活動の一端を伝える手助けになればと願う。

